翻訳するべきではない時

翻訳は、書類の内容や意味を他の言語で理解するためのサービスです。言葉一個一個を他の言語に置き換えるだけの作業は意味不明な文章、もしくは全く違う意味の文章になってしまうことが多くあります。昨今は機械翻訳の導入や経験のない素人が翻訳者として名乗っていることによって、こんな現象が更に多くなっています。翻訳するのは文章の言葉ではなく、その意味です。 まぁ、それは別の日の話にしましょう・・・

最近、よく見かけるのは住所を他の言語に「翻訳」をした書類です。例えば、ドイツの会社の住所をカタカナに翻訳しているといったものです。なぜそうするか想像もつきませんが、全く役に立たないと思います。正しい発音も出来ないし、出来たとしても、どうやって使うのでしょう?ドイツに郵便物を送るのには使えません。なぜなら、ドイツの郵便局が日本語のカタカナを読めるはずもないですからね。読めても正しい住所に戻すのが不可能に近いでしょうね。現地に行って、タクシーの運転手に見せても、同じ問題があるでしょうね。結局、無意味な行為となってしまうのです。

では、他の言語の組み合わせはどうでしょう?日本の住所を英語に翻訳する場合は、厳密に言うと翻訳ではなく、ローマ字で書いているだけです。これは一般的な日本人に理解してもらえるし、郵便局又はタクシーの運転手さんに理解してもらうのは全く問題ありません。元の漢字に戻すのが難しい場合は多いと思いますが、正しい場所に辿り着けば、どの漢字かはそんなに関係ないかもしれません。

タクシーか郵便物以外の利用方法は思いつかないので、特に翻訳する必要はないでしょうね。

文字や言葉の一個一個を翻訳するよりは、その文章や段落の意味を理解して、その意味を翻訳するようにいつもアドバイスをしていますが、住所の場合は例外と言えるでしょう。

基本的な考え方は変わりません。先ずは、なぜそのものを翻訳しているかを考えて、そしてお客さんにとって一番に役に立つ翻訳文を提供することが本当の翻訳です。住所の場合はそのまま英文字にするか、そのままにするかが賢明でしょう。

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